アーカイブ | 4月 18, 2024

花子の最後の記録 

花子へのたくさんのお悔やみのお言葉どうもありがとうございます。 お花を送って下さったお友達もいらっしゃって、花子もお空で喜んでいると思います。 花子は我が家にやってくる前から、ブログに登場していたので、生まれた時から15年間ずっと見守って下さった方もいらっしゃいます。

このブログを17年間ずっと続けてこられたのも、2匹のおかげで、素敵な方とお知り合いになれたからです。 こんなに長く続けていたのに、ちょっといじわるなコメントを受け取ったのは、後にも先にも1回だけ。(すぐに消去しちゃいました)

花子とお別れしてから、私も昔のブログを読み返したりして、笑ったり泣いたり忙しかったです。

花子の最後の記録を簡単ですが、残しておきます。

DMの疑いが高いと診断を受けたのは2021年の夏でした。その年の冬はハワイで過ごしていたのですが、花子の歩き方がちょっと違うな~と思ったのです。 花子は12歳でした。 そこから、少しでも病気の進行を遅らせようと、大嫌いな水泳やら、リハビリやら、針治療、PRP治療など、先生から勧められたことはすべて試してみました。 

下半身はゆっくりゆっくりと麻痺が進んでいきましたが、最初の大きな異変は去年の夏、おしっこが出なくなってしまった時で、すぐにいろいろと調べてもらいましたが、どこも異常なし。 結果、下半身の筋肉が弱ってきていていることが原因で膀胱が伸縮しずらいとかという結論になり、その日から、一日2~3回の圧迫排尿が始まりました。

花子はとても協力的で、自分でちゃんとおしっこポーズをとって、「押して~」 って言ってくれてたので、数か月は、特に負担にもならずに、日常業務の一つになっていきました。寝てる間の尿漏れも日常的になってきましたが、薬で調整することが出来ました。 

隔週のマッサージセラピーとレーザー治療も続けていて、先生にはその時にお会いしていたので、何かあっても安心でした。 

今年に入ってから、前足が急に弱ってきて、一人で動くことはほぼ不可能になりました。

2月13日(だったかな?) に圧迫排尿でもおしっこが出なくなり、また緊急で病院です。 その際の検査でもまたどこも異常なし。 先生は関係ないはずだとおっしゃってましたが、念のために、おもらし防止のための薬を止めました。 幸い、その後、圧迫排尿でまたおしっこも出始めましたが、常に、ちょろちょろとお漏らししちゃう状態に。

それでも、毎朝、花子を蒸しタオルで拭き拭きして、ベッドカバーなどをお洗濯すれば良いだけなので、それほど気にはしなかったけど、先生からは、DMがかなり進行しているので、そろそろ花子のQOLを考える時期に来ているよ。。。と、やんわりと言われました。 

先生も花子はとても特殊なケースだとおっしゃっていました。DMは、痛みもないし、内臓などには全く影響しないので、花子の血液検査はこの先もきっとずっと正常値だと思うけど、QOL は確実に低下していきますとのこと。

でも、まだまだ私はそれを信じられずにいましたが、アルファさんが、先生に安楽死を決める基準のようなものはないのかと質問していて、先生がチャートをくれました。

いろんな質問事項があって、そこに当てはまる項目がいくつあるのか、、、というテストのようなもので、私は、怖くて、しばらく出来なかったけど、アルファが、テストをしてみた所、花子はボーダーラインだったそうです。

ボーダーラインなら、まだまだ大丈夫! って思い、そのあとも普通の生活に戻りました。 もう、すべてが花子のための時間で、昼間花子がいるリビングルームで仕事や家事をして、夜は、花子の調子が良ければ、一緒に寝室まで動かしますが、リビングルームで寝てしまってるときは、私が花子の隣で寝るという生活でした。

外に連れ出すときは、二人でハーネスを持ち上げて、掛け声をかけあいながら、30キロの花子をヨイショヨイショと動かしていました。花子もわずかに残っている前足を一生懸命動かしてくれて、私たちの負担を少なくしようとしてくれてたようです。 

なんとなーくお別れの時期が近付いていることは私も意識していたのでしょう、花子を動かすのが一苦労でも、すぐ近くのスーパーマーケットに買い物に行く際でも、花子を車に乗せて一緒に行動していました。

こちらのお友達も手伝ってくれたりして、一緒にお散歩カートを押して、トレイル散歩にも行くことも出来たんですよ。

3月の中旬に入って、前足もほとんど動かなくなってしまい、花子を動かすことがさらに困難に。それまでは、どうにか私が怪力を発揮すれば一人でも移動が可能でしたが、ある日、私が花子を支えきれずに、二人そろって床に転んでしまいました。 花子も悲しい目をしていて、その時にもう限界かも。。。と思ったのです。どれだけ花子が小型犬だったらと思ったことか。

さらに、アルファの仕事で、4月の初めから、彼はハワイに行かなければいけなくなっていて、私はまた花子と二人で留守番をする予定でいましたが、数メートルも花子を一人で動かすことが難しくなった今、それが花子のためになるのかどうか。。。

その日、先生のマッサージの予約も入っていたのですが、メールでどうしたらよいのか、初めて、弱気なメールを送ってしまいました。

先生からは、花子はこの先、さらに、麻痺が進んで、頭をあげることもできず、呼吸することも大変になってくる、、これは現実で、それが1週間先か3か月先かはわからない。もし、このまま、花子とどこにも行けず、食べて寝るだけの生活を続けて、花子の大好きなドライブにも連れて行けなくなったら花子のQOLはさらに低下していくよ。 シェパードは、特に我慢する犬種だから、苦しいと訴えたときは、想像を絶する苦しみの中にいるということを忘れないで欲しいと。

あと、アルファがハワイに行った後、花子を一人で見送ることになったら、花子はパパときちんとお別れができないし、パパもお別れが言えないって、ものすごく後悔が残ると思うよ。

結論を出すのはあなたたちだけど、もし、花子を見送る勇気が出たときは、私たちは全力でサポートするから、何も心配しないで。。。と、本当に素敵な先生。 

一生お付き合いしたいと思う先生でした。

本当に辛い辛い決断でしたが、まだまだ食欲もあってお顔も可愛らしい花子と10日後の4月1日にお別れすることに決めたのです。 

安楽死を覚悟した後のことはあまり覚えていないのですが、毎日、毎食、花子の大好物を好きなだけ食べさせてあげました。 いっぱいお話もしたし、バンちゃんとおばあちゃんがいるから何も心配いらないよと何度も伝えました。 あとは、ママもそのうち行くから、絶対に待っててね、そのあとは、永遠に一緒にいられるんだよって。

そのあとの火葬のことなど、病院ですべて取り仕切ってくれて、私は何もせずにお任せしました。それだけ100%以上信頼している病院でした。 当日もゆっくりと気の済むまでお別れできるように、個室を用意してくれていました。

先生も泣いちゃったと前記事で書きましたが、みんな大泣きです。

ただ、息を引き取ったあとに、花子のおひげが、しばらくピクピクと動いているのを先生が教えてくれて、ワンコによって、心臓が止まったあとに、大きく息を吐く子と、おひげを少し動かす子がいるそうです。 それが、バイバイって言ってるサインだそうですよ。 そんなこと聞いたら、また泣いちゃいますが、花子も悔いなくお別れしてくれたんだなと思いました。

長々と書いてしまいました。 誤字脱字お許しください。

安楽死を選んだことに悔いはないですが、そのタイミングが正しかったのかどうかは、ずっと答えが出なさそうです。 きっと私は一生考え続けるかも知れないです。私も今、ハワイに来ています。あさってからは、父の様子を伺いにしばらく日本に滞在します。

また気が向いたら更新するかも知れないですが、犬ブログはこれからは思い出話になってしまいますね。 

今まで本当にありがとうございました。

今頃、二匹で楽しく走り回っていると思います。 二匹とも最高のシェパードでした。